「浮世絵の歴史」シリーズ
★今回から始まるYoutube動画シリーズでは、江戸時代の美術を代表する「浮世絵」の歴史について解説します。
★その第1回の動画では、初期浮世絵の絵師たちの活躍についてご紹介します。
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「浮世絵」とは
★「浮世絵」は、江戸時代に成立した絵画ジャンルです。それまでの鬱々とし、希望のない「憂き世」としての世界ではなく、大火からの復興景気に沸く江戸の町において、町人文化を基礎としつつ醸成された、来世ではなくこの世を楽しもうという享楽的な思想をベースとする絵画作品が浮世絵です。
★浮世絵の歴史を振り返るなら、京都の町の中と郊外の様子を画いた洛中洛外図屏風から、寛文期に制作された美人図までの、近世初期風俗画に源流をさかのぼることができます。
★そして江戸時代には、社会のあらゆる階層の人々―下は庶民から、上は大名まで―に需要を得ていました。浮世絵は、狩野派のような御用絵師たちが制作した、公家や大名のための絵とは異なり、当時の広い階層の人々が興味・関心を寄せた主題で描きました。
★具体的には、役者絵、美人画、武者絵、名所絵から、花鳥画まで、時代の趣味を生き生きと伝える作品を数多く生み出しました。
制作に用いられた技法
1. 肉筆画
★技法的には、まずは、筆を用いて墨と顔料により描いた「肉筆画」が画かれています。初期の浮世絵師には、この肉筆を専門に手掛ける人物・画派も複数存在しました。
肉筆画の代表作・菱川師宣《見返り美人図》
★肉筆浮世絵の作品は一点物の高級品で、特に絹の上に質の良い顔料で描いた作品には高い値が付いて取引されたと考えられます。そのような作品の例について、今回取り上げた作品では、菱川師宣の《見返り美人図》を挙げることができます。本図では一部に顔料の剥落が認められますが、振袖の着物を描いた箇所の発色は21世紀の現在においても良く保たれていて、小さな丸い花の地紋を表す綸子地とされる小袖の地は、いまだに緋色の色彩で鑑賞者の目を引きつけます(なお菱川師宣《見返り美人図》については解説の動画と記事を公開しております。ご覧いただけましたら幸いです➡Youtube動画・ブログ記事)。
2. 版画
★一方で今回取り上げる、懐月堂安度のように、絹よりも値の張らない紙を支持体として選び、さらに質のあまりよくない泥絵具を画材として採用しながら、一定の決まったパターンの女性人物像を表す肉筆画を描き、すなわち効率化・量産化を押し進めた美人画作品を、比較的低価格で提供したケースも確認されます。
浮世絵版画は、下絵を描く絵師・彫師・摺師という、複数の職人の共同作業の成果でした。
★それから「版画」、具体的には、「墨摺絵」から多版多色摺の「錦絵」までの木版画までの技法が用いられます。「墨摺絵」は木版画に墨の黒だけをつけて刷った作品で、モノクロームの彩色のまま刊行されることもありましたが、「丹絵」のように、「墨摺絵」のモノクロームの画面に、さらに筆を用いた彩色を施してポリクロームで仕上げる場合もありました。
今回のテーマ:菱川派・鳥居派・懐月堂派
今回の動画では、具体的には以下の内容をとりあげています。
1. 菱川派(創始者:菱川師宣)
「浮世絵の祖」と評価される菱川師宣の手になる江戸の遊郭・吉原 と、芝居町の歌舞伎の舞台をモチーフとして描く図と、師宣の子の宣房から古山師重までの菱川派の絵師たちの作品
2. 鳥居派(創始者:鳥居清信)
鳥居清信・鳥居清倍たちの、初期の鳥居派の絵師たちが得意とした「墨摺」の美人画から「丹絵」の役者絵
3. 懐月堂派(創始者:懐月堂安度)
懐月堂安度を領袖とする懐月堂派の絵師たちが手掛けた、紙に泥絵具を用いて描かれた、あるいは墨摺の版画として制作された安価で量産型の美人図
★今回の動画では、以上の絵師たちとその代表的な作品の数々を取り上げながら、浮世絵の歴史の初期の頃に活躍した浮世絵師 たちの個性あふれる作品の数々についてご紹介します。
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