歌川国芳と月岡芳年の「花和尚」魯智深
この投稿では江戸時代末期の浮世絵師・歌川国芳と、
国芳の弟子で、幕末から明治中期の絵師・月岡芳年が、
『水滸伝』の登場人物・魯智深を描いた錦絵をご紹介します。
- 魯智深は元は中国北部・渭水の役人でした。しかし暴れん坊で、人を殺めてお坊さんになった後も、入った寺でやりたい放題でした。
- たとえば、禁じられていた酒を飲んで金剛力士の像に絡んだり、他のお坊さんに無理やり肉を食わせたりしました。
- 19世紀を代表する浮世絵師の国芳と芳年の師弟は、そんな魯智深の奔放な性格を、それぞれ静かな、あるいは動きのある表現で表しています。
1. 国芳の魯智深
まずは師匠の国芳が描いた魯智深の錦絵です。
背中いっぱいに広がる立派な刺青をこちらに見せながら、
武器を手に、ポーズを決めた一瞬をとらえた表現です。
歌川国芳(1798-1861年) 《水滸伝:魯智深》 1843-47年、錦絵、ボストン美術館 |
- 国芳は画面中央にひとり大きく描いた魯智深を、背後から捉えて描いています。
- 頭をやや下げる魯智深は、画面手前で右腕を曲げて左腕を画面奥へと伸ばし、対比的に右脚は前へ伸ばして左脚は奥で膝を曲げています。伸ばす-曲げるのコントラストがはっきりした、メリハリの効いた決めポーズで立っています。
- 背中にはモノクロームの花刺青が彫られています。
- 一方で首の左横から右わき下へと斜めに掛けた数珠は、赤・黄・青の多彩色=ポリクロームで彩られています。
- 単色の入れ墨の植物文様と、色鮮やかな数珠が、背中の上で色彩のコントラストをなしています。
- さらに色彩の対比をなす背中の部分は、腰の後ろから提げた黒一色の衣とも、文様の有無に関して際立つコントラストをなしています。
【部分図】 背中の刺青と数珠 |
2. 芳年の魯智深
続いて国芳の弟子、芳年が描いた魯智深です。
芳年は『水滸伝』の魯智深にまつわる逸話を描いています。
魯智深が酔って金剛力士の像に絡む様子が表されています。
月岡芳年(1839-1892年) 《魯智深爛酔打壊五臺山金剛神之図》 明治20年(1887年)錦絵 |
- 歌川国芳の弟子、月岡芳年の魯智深です。
- 魯智深が、酒に酔い、金剛力士の像に殴りかかり、山門を破壊する場面です。
- 国芳は魯智深を背中側から描いていましたが、芳年は、魯智深の筋肉の発達したたくましい体つきを、前方から捉えて描いています。
- 魯智深は左脚は曲げ、右脚は伸ばして踏ん張り、右腕は上に、左腕は下方向へ曲げてS字を描きつつ、体全体で力のこもった動きを表しています。
- 芳年は縦長のフォーマットを活かしながら、上のほうに金剛神像を、下の方に魯智深を描き、両者の対峙を強調し、動きと迫力ある構図を作っています。
【部分図】 魯智深の躍動する肉体の表現 |
決めポーズの静的な国芳の魯智深、それに対し
大暴れする動的な芳年の魯智深の絵でした。
19世紀の浮世絵版画における動きの表現の
レパートリーの豊かさをよく示す2点です。
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