【中世の宗教画】ジュンタ・ピサーノ《十字架上のキリスト》 1250-55年、 ボローニャ、サン・ドメニコ聖堂

ジュンタ・ピサーノ《十字架上のキリスト》
1250-55年、板にテンペラ、316 x 285 cm、
ボローニャ、サン・ドメニコ聖堂

この投稿ではジュンタ・ピサーノ1250-55年に描いた《十字架上のキリスト》についてご紹介します。

十字架板絵の画家

 ピサーノとアッシジの作例に関する記録
  • ジュンタ・ピサーノはイタリア中西部のピサで1200年頃に生まれました。1250年代末まで活躍したことが知られています。
  • 本作以外にも、ピサーノは十字架板絵を複数制作しています。
  • アッシジのサン・フランチェスコ聖堂上堂の身廊と内陣を分ける障壁(イコノスタシス)の上に置く、十字架板絵を教団長エリアの注文で1236年に制作したとする記録が残っています。

 

ピサーノ作の現存する十字架板絵

 アッシジとピサの作例
  • アッシジの十字架板絵を制作した頃から1250年代の後半にかけて制作した十字架板絵が、本作を含め3点が現存しています。
  • ボローニャのサン・ドメニコ聖堂所蔵の作例以外の十字架板絵は、以下の者が残っています。
    • アッシジのサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂美術館の作品(1240年代)
    • ピサのサン・ラニエーリ聖堂旧蔵のピサ国立サン・マッテオ美術館の作品

ジュンタ・ピサーノ《十字架上のキリスト》1240年代、
アッシジ、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂美術館

ジュンタ・ピサーノ《十字架上のキリスト》1250年代、
ピサ国立サン・マッテオ美術館
 

「苦悩のキリスト」

 苦しみの表現
  • ジュンタ・ピサーノの十字架板絵は、それまでの活き活きした「勝利のキリスト」から「苦悩のキリスト」への表現上の変化を示しています。
  • これは東ローマ帝国のビザンティン美術やアルプス以北に既に存在した磔刑像から影響を受けた結果であると考えられています。
  • 結果として、自然主義的表現傾向を強めながら、図式化も見せ、さらに苦しみの表情を強調して描いています。

 

両脇下部分の描写


コッポ・ディ・マルコヴァルド《磔刑》
1260年頃、サン・ジミニャーノ美術館
 幾何学文様の採用
  • それまで両脇に描かれた受難の場面を小さく描いた画面は消え、代わりに菱形模様が現れています。
  • この部分は鑑賞者の視線を中央のメインモチーフに向かわせる配慮が行われた結果であるとされています。

 

横木の先の絵

 二人の聖人:マリアとヨハネ
  • さらに横木の左右には聖母マリア👆と使徒ヨハネ👆が描かれています。
  • これらの人物像には悲しみ嘆く身振りや、衣服には金線の模様が描かれています。
  • これはチマブーエのアレッツォにある作品👇の表現の直接的祖型を示しています。

チマブーエ
《十字架上のキリスト》
1268-71年、
アレッツォ、サン・ドメニコ聖堂

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