チャンネル内関連動画:【作品解説】【作品解説】ファン・デ・フェルデ(子)《多くの小型船に囲まれて礼砲を放つオランダの帆船》1661年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー (youtube)
【画家と作品】
ウィレム・ファン・デ・フェルデ(子):
17世紀オランダの海の風景の画家
英仏連合とネーデルラント連邦共和国間で1673年8月21日に戦われた海戦。両弦より生じる砲撃の白煙、黒煙は画面奥の炎上した艦から上がり、散弾が割いた白い帆に開いた穴の数々、といった海戦に特有のモチーフを細部にわたり詳細に描く、海景の専門家らしい作品。
画家の一族
ウィレム・ファン・デ・フェルデ(子)(Willem II van de V, 1633‐1707年)は、1633年12月18日にオランダのライデンで洗礼を受けた。同名の父ウィレム(Willem I van de Velde, 1614年頃‐93年)もライデン生まれの画家。父は白亜の地塗りを施した板やキャンバスにペンで船舶の細部までを精緻に描写した独特の単色画(グリザイユ)で知られた。ファン・デ・フェルデ一家は17世紀の芸術家一族のひとつであり、アムステルダム生まれの弟・アドリアーンも画家だった。父と兄は海景画家だが、アドリアーン自身はアムステルダムで動物大きく描かれた風景の画家パウルス・ポッターの影響を受け牛などの哺乳動物を数多く描いた。
修業時代と影響関係
海景画家の父親から絵の手ほどきを受け、その後、当時評判の海景画家シモン・デ・フリーガーからも指導を受け、ロンドンに渡る以前から名声は高まっていた。彼はまた、曇天の海景をよくしたヤン・ファン・デ・カペルの作品にも影響を受け、穏やかな海の上に雲が漂い、その影が海面に映る風景画を描くようになった。
渡英とそれ以後
父子は、対フランス戦に起因する政治経済的状況の悪化に伴い1673年までにイギリスに移住した。同地ではチャールズ2世に仕えた父親が「海戦の素描をし、〔絵を〕制作する」のを手伝う仕事に従事し、100ポンドの給料が支払われた。父とともに働くことがあり、その時は父の絵を着彩で写す仕事もこなした。ウィレム(子)は、父とそろってチャールズ2世、次いでジェームズ2世の宮廷画家となった。英国ではヨーク公ほかの貴族たちの寵愛を受けた。1707年4月6日にロンドンで逝去し、ピカデリーのセントジェームズ教会に埋葬された。
関連記事:
コメント
コメントを投稿