「鼎」(てい)
この記事では「鼎」(てい)についてご紹介します。鼎は最初古代中国の実用品、あるいは祭器として作られ、その後伝統的なかたちを伝えながら、さまざまな素材で作られるようにもなりました。
殷(商)から西周の青銅製「鼎」(てい)
中国・殷代中期(中商期)、紀元前15世紀
奈良国立博物館
「ColBase」収録
鼎(てい)は実用品だったと考えられます。そして商代の後期までは、この奈良国立博物館が所蔵する鼎にみられるように、文様が付けられていないか、あるいは簡単な文様のみがつけられています。この時期の鼎には、大抵の場合、火にかけたときについた煤が残っています。この鼎は商代前期と後期の間(商代中期)につくられた例で、三足が中の詰まっていない中空のつくりで、足は先の端がとがっているのが特徴です。
西周前期、紀元前11-前10世紀
奈良国立博物館
「ColBase」収録
鼎(てい)のかたちは、ふつう、上から見た平面図のでは丸い形をとります。しかしながらこの奈良国立博物館の作例のように、四角いかたちをもち、四角形の四隅に一つずつ脚が付き、ぜんぶで四つの足を持つ「方鼎」(ほうてい)の作例もあります。特に商代の後期後半から西周の時代の前期には、このようなつくりの例が多いようです。この方鼎は西周の前期につくられました。おなかのところに大きく浮き彫り(レリーフ彫刻)の表現テクニックで饕餮文(とうてつもん)が表されています。この饕餮文の輪郭には、ヒラヒラとした装飾がたくさんついており、華やかな仕上がりとなっています。西周時代の鼎は足が細長くて、商代の後期の鼎に比べると、繊細な印象を与える造となっています。足の上のほうにも饕餮文が、やや簡略化の傾向を見せながら施されています。
晩商~西周初期・紀元前11-前10世紀
奈良国立博物館
「ColBase」収録(https://jpsearch.go.jp/item/cobas-16146)
商代後期になると、太い柱足を鋳造する技術が発達しました。また、実用品ではなく彝器(いき)として装飾が重要視されるようになりました。そして全体に文様を飾るものも現れます。この鼎は商末周初期と考えられる大型鼎で、重さ62.5キログラムを誇ります。大型の鼎は特に商末周初期の例が多いので、この時期に威信材として多数製作されたようです。殷墟の大型方鼎鋳造遺構の例では、地面に内型を作りつけ、外型をその上部に組んで鋳造するという大掛かりな仕掛けが見つかっています。内壁にも図像・記号が鋳込まれています。
春秋・戦国時代の青銅製「鼎」(てい)
春秋時代・前7-前6世紀、
東京国立博物館
「ColBase」収録
青銅器は西周時代後期から戦国時代にかけて、身分の上下に応じて使用できる数を制限するようになりました。ここに展示した三つの鼎は、大きさこそ異なるものの、器形と文様がよく似ています。確証はありませんが、もともと「列鼎」というセットだった可能性があります。
春秋時代・前7-前6世紀
東京国立博物館
「ColBase」収録
東京国立博物館
「ColBase」収録
戦国前期・紀元前4世紀
奈良国立博物館
「ColBase」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/cobas-16183)
この鼎は中国の戦国時代から漢代に作られました。春秋期中ごろ以降の鼎には、これまでには見られなかった新しい特徴が共通して存在します。多くの場合、鼎には蓋がついています。またアルファベットの「L」の字の形に曲がった両耳(把手)が、口の縁のすぐ横の個所につきます。さらに蓋には小さな突起が認められます。この突起があることで、蓋を逆さに置くと、三つの足つきの浅い皿となります。この蓋=皿の上にも何かものを置いたのでしょうか。蓋上には三体の獣形がついており、蓋上と器身には簡略化した雲雷文が飾られている。こうした鼎の両耳や足には精巧な別鋳法が用いられています。
後漢以降の「鼎」(てい):様々な素材の選択
緑釉や褐釉を施したやきものは、鉛釉陶器と呼ばれます。灰釉陶器は木の灰を釉薬とし、高い温度で焼いた陶器です。鉛釉陶器は、酸化鉛に酸化鉄、酸化銅を加え低温で焼く陶器です。鼎は三つの足がついた器で、商代の銅器に始まる祭礼用 の器です。この鼎の蓋には、漢代に流行した四葉文を描き、足には蹲った熊の文様が描かれています。この鉛釉陶器は、土の中に長くとどまっていたようです。その結果、表面に雲母を思わせる見た目を持つ、白い膜を生じる「銀化」が起こっています。
江戸時代・19世紀
東京国立博物館
「ColBase」収録
清時代・17-19世紀
東京国立博物館
「ColBase」収録
奈良国立博物館の西周前期の《鼎》と同じく饕餮文、同館の戦国前期の《鼎》と同様に雲雷文を刻む漆器の鼎です。胴体だけでなく足も円形断面で、脚は一本のみついています。
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