【ミネアポリス美術館展作品解説】狩野探幽《瀟湘八景図屛風》八曲一隻、江戸時代、寛文3年(1663年)、ミネアポリス美術館

狩野探幽《瀟湘八景図屛風》
江戸時代、ミネアポリス美術館


サントリー美術館「ミネアポリス美術館」展出品作から、狩野探幽《瀟湘八景図屛風》(17世紀)のご紹介です。

狩野探幽《瀟湘八景図屛風》八曲一隻、江戸時代、寛文3年(1663年)、ミネアポリス美術館

1. 作品の情報と概要:狩野派御用絵師の屏風

《瀟湘八景図屛風》は、《唐獅子図》《檜図》で知られる狩野永徳の孫で、江戸幕府の御用絵師となった狩野派の絵師・狩野探幽の水墨淡彩による作品です。寛文3年(1663年)に制作され、八曲一隻の屏風に仕立てられています。縦の長さが86.04cm、幅が358.62cmという大画面に、余白を大きく残しながら、山、木、建築、水、舟、人物などのモチーフが表現されています。

2. 表現内容:連続して配置される「八景」

余白部分に関しては、とりわけ各扇の上の部分の中央にはなにも描かれていない垂直の長方形のスペースが設けられています。この部分には、詩句が書かれるために確保されているようです。
「山市晴嵐」の景の上に設けられた余白。

この四角いスペースの下に広がる部分には、山水が表現されています。洞庭湖に流入する瀟水と湘江の合流するあたりである「瀟湘」の光景が、画面の端から端まで描かれています。風景モチーフは各扇の境を超えて拡がっています。このモチーフ表現のために、それぞれの扇の画面の独立性は控えめで、相互の連続性を保っています。

左:煙寺晩鐘(図2)、右:山市晴嵐(図1)

屏風の向かって右下隅には「山市晴嵐(さんしせいらん)」の景が表されています(図1)。山里が、山霞に煙って見えます。岩の間を流れる川の水の上に橋がかかり、荷を天秤棒で運ぶ人物が渡っています。その奥には木々と家屋が、山の見える画面奥へと居並んでいます。
そこから左上へと見上げる高い位置からは、滝が垂直に流れ落ち、白い雲霞の湧く上に寺院の塔が聳えます(図2)。これは「煙寺晩鐘(えんじばんしょう)」の景で、遠く夕霧に煙る山寺から、鐘の音が聞こえてくる様を描いています。

左:平沙落雁(図5)、中央:漁村夕照(図4)、右:遠浦帰帆(図3)

続く場面は、右隣の滝から落ちる水から連続して、水の流れの上を帆かけ舟が夕暮れどきに遠方から戻ってくる景「遠浦帰帆(えんぽきはん)です。右下隅に見える岩場から左上に、帆を備えた2隻の船が、距離を保ちながら水の上を進む様子が遠くに小さく見えます。
その隣には、夕焼けに染まる漁師たちの村を描いた「漁村夕照(ぎょそんせきしょう)」のシーンが確認されます(図4)


左:瀟湘夜雨(図7)、中央:洞庭秋月(図6)、右:平沙落雁(図5)

その左に見えるのは、秋の雁が画面の上方から画面中段の干潟に舞い降りる風景を描いた「平沙落雁(へいさらくがん)」です。それに続いて「洞庭秋月(どうていしゅうげつ)」(図6)の景が確認されます。画面下段で岳陽楼が望む洞庭湖の上に、画面中段に空に浮かぶ秋の月がかかっています。

「洞庭秋月」の景の上、画面中段に浮かぶの姿。

岩山に生えた木の向こうから、月を望む岳陽楼

左:江天暮雪(図8)、中央:瀟湘夜雨(図7)、右:洞庭秋月(図6)

その隣には瀟湘の上に降る夜の雨の下の風景「瀟湘夜雨(しょうしょうやう)」(図7)が続きます。最後は日暮れの河の上に降る雪のある風景「江天暮雪(こうてんぼせつ)」(図8)です。左下隅に小屋、中央付近に峰が見えます。降り積もった雪で、小屋の屋根も山の頂(いただき)も白くなっています。画面下から伸びる木の枝も雪をたたえています。

2. 狩野探幽と瀟湘八景:画面フォーマットの問題

狩野探幽は「瀟湘八景」のテーマとは縁の深い画家です。探幽の作品としては、静岡県立美術館には1662年から1674年に描いた《瀟湘八景図》が所蔵されています(リンク)。また狩野探幽が雪舟の原作に基づいて寛文11年に写したことが記されている、《瀟湘八景図》(紙本墨画)が早稲田大学図書館に所蔵されています(リンク)。しかしこれら二点は巻子装で、水平方向に横長に続く画面に描かれており、同じテーマでもミネアポリス美術館とは異なる画面の条件となっています。探幽はミネアポリス美術館の屏風仕立ての「瀟湘八景」を描くにあたっては、各シーンが縦長の屏風の各扇をまたぐように描きつつ、垂直方向への展開も意識しながら、遠景の山岳モチーフを画面上に置くことで、高さのある絵画面の特性を有効に利用しています。

関連記事

コメント