動画de西洋美術史入門🦁第3回「メソポタミア美術」―工芸的副葬品、神に祈りを捧げる像、王宮守護者や市門装飾レリーフ, etc.

動画シリーズ「西洋美術史入門」、第3回の動画👆では、チグリス川とユーフラテス川の間の地域に発達した、古代メソポタミア美術を取り上げました。

古代メソポタミアの美術

  • メソポタミアとは、ギリシャ語で、川と川の間を意味する言葉で、具体的には、ティグリス川とユーフラテス川の両河流域を指し、エジプトと並ぶ、古代の文明の発祥の地として歴史的に高い重要性を有しています。
  • この地域では、エジプトのように統一王朝によって支配されることがありませんでした。その代わりに、様々な民族がやってきており、この状態が、高い多様性を示す美術作品を生み出すことに寄与しました。
  • 古代メソポタミアでは、シュメール人が作った複数の素材を併用した工芸的な副葬品や、神に祈りを捧げる奉納者の像、アッシリアの王宮を悪霊からまもっていた、守護者の浮き彫り彫刻、バビロニアの門を飾った、釉薬を施した彩り豊かなレンガのレリーフが造られています。

西アジアにおける文明の形成

  • 西アジアはアフリカを出た人類が最初に到達した場所でした。
  • そこで金属器や器の生産、農業、交易、戦争により、物質的に豊かな文化を形成しました。

メソポタミア都市国家形成の時代

  • メソポタミアの南の地では、紀元前4000年紀の中頃から、集落の規模が大きくなって都市が形成されました。
  • そして、ウル、ウルク、ラガシュなどの都市が作られました。

①ウバイド期

  • メソポタミアでは、初期には、南メソポタミアの定住農耕民の文化の基層を形成した「ウバイド期」が知られています。
《土器》ウバイド文化後期 ボストン美術館

②ウルク期

  • 続いて、すでに大規模な神殿、町や村を作っており、後期に絵文字の出現がみられる「原文字期」である「ウルク期」が確認されます。
  • メソポタミア最南部にシュメール人が都市を構築し、エリドゥ、ウル、ウルク、ウルクの市が作られました。

③ジェムデト・ナスル期

  • 次に、「ジェムデト・ナスル期」が紀元前3100-前2900年頃まで続きます。
  • この時期には、イラク中南部において、単色や多色の絵付を施した器を制作しました。
《彩文土器》
シカゴ東洋研究所美術館

④初期王朝時代

  • そして、紀元前2900年頃に、各都市国家が覇を争い、都市国家と王が登場した「初期王朝時代」が到来します。この時代には、ウル、ウルク、ラガシュといった都市国家が抗争を続けました。
  • 権力者が生まれ、都市に君臨し、国家が形成され、美術作品は権力と富を示し、政治的な宣伝のためのメディアとして発達しました。
  • 高価な素材で作った神像、権力の基礎となる神殿に加え、頂の部分に神殿が立つ、巨大な建築であるジッグラト👇が建造されました。

古代メソポタミアの建築

  • メソポタミア地方では、エジプトのように質の良い石材に恵まれないという不利な状況が存在しました。
  • そのため、失われやすい素材で建造された建築物の遺構は、その上部構造を現在に至るまで残すということがほとんどありません。
  • 今に知られている数少ない遺構の例が、階段状ピラミッド形式を取る神殿複合体です👇

シュメールの巨大建造物:ウルのジッグラト

  • 《ウルのジッグラト》👆 は、イラクのジカール県、ナーシリーヤ近郊に、シュメール人の統一王朝であるウル第三王朝統治下の、紀元前2100年頃に作られた建造物です。
  • ウルの守護神=月の神・ナンナへ捧げる神殿として、日干し煉瓦を積み上げて作られました。
  • 古代エジプトでは、石を素材に選んで、神殿やピラミットを造りましたが、石材に恵まれないメソポタミアでは、日干し煉瓦が建築物に多く使用されました。
  • 第一層底面が62.5×43m 、高さが11m、第二層底面が38.2×26.4m、高さが5.7mもある、巨大な建造物です。
  • この大規模建造物は、王の力の偉大さを、都市において具現化した存在であると考えられます。

ウルの守護神・ナンナのいる円筒印章

  • この👆作品は、《ウルのジッグラト》と同じく、紀元前2100年頃に制作された円筒印章です。
  • 玉座に着く君主の前、向かって左上に浮かぶ三日月が、ウルの守護神である、月の神・ナンナであるとされています。
  • 円筒印章は、古代メソポタミアで所有者などを示すために使用された道具です。
  • 円筒印章は、書簡や容器に封をする目的で、紐を粘土で覆い、その粘土に押し付けて転がして使いました。

祈る人の像

《礼拝者像》
紀元前2900-前2600年
メトロポリタン美術館 
  • 胸の下で、両手を合わせながら祈りを捧げる明るい色の石の像。
  • その役割は、本像を奉納した人の代わりに、神殿内で、神に祈りを捧げ続けることだったようです。
  • はっきりした眉の下で、大きく目を見開き、祈りが聞き届けられるように神に訴えかけていたようです。

《男性礼拝者像》
初期王朝第二期 紀元前2700年-前2600年頃
石膏石 高さ:72 cm
イラク、テル・アスマル(エシュヌンナ)出土
バグダード、イラク美術館
  • 古代メソポタミアの彫刻では、初期王朝期第二期(紀元前2700-紀元前2350年頃)に属する、礼拝する物の姿を現した像が数多く出土しています。
  • 礼拝者像は、神殿へと奉献されました。
  • 蔵の多くは、両手を前に構えて杯を持っているか、祈りのポーズを取っています.
  • 杯は神殿で執り行われた儀式で用いられたと考えられています。

素材①:像本体

  • 素材には、石膏石が採用されました。
  • きめが細かくて、滑らかな表面を呈しています。
  • 色彩は白色を呈し、縞の目が入ることもあります。

素材②:目をかたどる部分

  • 大きく見開いた眼には、貝と黒い石が嵌められています。
  • これらの素材を固定するためには、アスファルト(瀝青)が用いられています。

対比的な造形

  • 身体はシンプルな円筒形に近い形状を取っています。
  • 腕や脚は単純なかたちにデフォルメ(変形)されています。
  • これらの簡単なフォルムは、大きな目を強調し、祈りを捧げる姿を強く印象づけます。

奉納物を運ぶ人の像


《頭に箱を乗せた男性》
紀元前2900-前2600年
メトロポリタン美術館 
  • 銅の合金で作られた、男性の全身像は、大きな目・鼻・耳を詳しく彫り込んで表した頭部の上に、おおよそ立方体をかたどる箱を乗せています。
  • これは神殿にささげる奉納物であると考えられています。

都市国家バビロン:バビロン第1王朝

  • 支配領域が拡大し、都市に集まって住むと、ルールを定める必要が生じました。
  • 紀元前18世紀、ハンムラビ王(紀元前1810-前1750年頃)は古バビロニア王国で「ハンムラビ法典」を定めます。
  • そして法律に関わる文章を刻んだ、暗い色の石を素材とした、背の高い《ハンムラビ法典碑》が制作されました。
  • その頂上部分👇には、法の権威に根拠を与える、神と王の図像が示されています。

アッカド:古代メソポタミア最初の帝国

  • これにより、メソポタミア最初の古代帝国である、アッカド市を中心とするアッカド帝国が広域にわたる支配を展開する国家を樹立し、その文化・経済圏は地中海域まで及びました。
  • シュメール人諸国連合を攻め、ウルク王を捕虜としたアッカド王のサルゴン(在位:紀元前2334年頃 - 紀元前2279年頃)は、メソポタミアを軍事統一します。
  • 紀元前2300年頃に制作された、ニネヴェにおいて出土した、豊かに蓄えられた髯が特徴の《貴人青銅製頭部》は、アッカド王サルゴン、あるいはナラム・シーンの独立した像の部分であると考えられ、王権美術に分類されます。

《貴人青銅製頭部》
バグダッド、イラク国立博物館
  • 紀元前2250年頃に、石灰岩に刻まれた《ナラム・シーンの戦勝記念碑》は、戦争における勝利を記念するモニュメントの役割を担っています。
《ナラム・シーンの戦勝記念碑》
紀元前2250年頃 ルーヴル美術館

アッシリア:最初の世界帝国

  • メソポタミアの北部は、南部に遅れて発展しました。
  • そして、都市国家から発達したアッシリア帝国が、紀元前9世紀の初め頃に、急速に王権を拡大しました。
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《浮き彫り彫刻:守護聖霊》
ニムルド、北西宮殿出土
紀元前900-700年
石製
大英博物館
髭の生えた男性の精霊。
太く発達した腕が、その力の強さを物語るようです。
  • アッシリアの王たちは、ニムルード、コルサバード、ニネヴェなどに豪壮な宮殿を建設し、巨大な像や浮彫の彫刻で飾りました。
1849年頃に水彩で描かれた、アッシリアの神殿あるいは宮殿の復元図

《人面有翼の牡牛像》
アラバスター 高さ:420 cm
イラク、コルサバード、サルゴン2世の宮殿出土
ルーヴル美術館
  • 威圧的な姿を示し、狛犬のように、入り口を守護する役割を担う作品。
  • 髪の毛を肩まで伸ばし、髭を豊かに蓄えた人間の男性の頭部を有しています。
  • 一方で、胴体や脚は、牡牛のそれとなっており、さらに翼を持つという、想像上の生き物の姿で表されています。
  • 斜め前方から見ると、5本の足を備えていることが確認されます。
  • これは、真横から見ても、真正面から見ても、4本の脚を有すように見えるための工夫です。

アッシリアの宮殿レリーフ装飾

  • アッシリアの宮殿の内側及び外側の壁は、浮彫りによって飾られています。
  • ニネヴェの宮殿には、アッシュールバニパルが戦闘する図や、獅子狩りをする図を表したレリーフ(大英博物館)が設けられていました。
  • そこでは、①力強い構図と②写実主義的な表現により、敵や猛獣を前にしても屈することがない、勝利する王の武力と威勢、勇気の程が示されていました。
《聖樹の前で儀式に臨むアッシュルナシルパル2世》
イラク、ニムルド、北西宮殿B室出土
紀元前865-前860年頃 アラバスター
大英博物館
  • 《アッシュルナツィルパル2世と聖樹》(前875-860年 大英博物館)では、神が王の正当性を保証しています。
👆と同様の主題と石材で作られた別の作品。
こちらは王立オンタリオ博物館に所蔵されています👇
《壁面レリーフ:アッシュルナツィルパル2世、翼の生えた精霊と聖樹》
新アッシリア期、紀元前884‐859年頃、アラバスター、王立オンタリオ博物館

《朝貢者》(大英博物館)
  • 新アッシリア、つまり、オリエント全域を支配した最初の帝国の特徴を良く示す作品です。
  • 本作では、人々が群れてやってきて、帝国の支配者たる君王をあがめています。

新バビロニア帝国

  • 新バビロニア帝国は、紀元前7世紀頃に、アッシリアに代わりメソポタミアを支配するようになりました。
  • 建築では古バビロニアの伝統に回帰し、バビロンやウルのような都市を再興しました。
  • 帝都バビロンには、都市中心部にジッグラドを築きました。
  • ネブカドネザル2世は王妃のために屋上庭園である「空中庭園」を築きました。

イシュタル門

  • 彩釉煉瓦で覆われた本作には、青色の地に、白や明るい褐色を用いて、牛や龍のモチーフが浮かび上がっています。
  • 壮麗なバビロンの都をほうふつとさせるこの作品は、現在はドイツのペルガモン美術館に復元されています。

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